蕎麦の縁で出会った世界の庖丁たち

稲澤敏行
江戸ソバリエ協会顧問
東京農業大学客員研究員


ソバ料理取材の際、東アジアを主体に世界の各地で庖丁を用いる調理の場に立ち会わせて貰えました。
その折に心がけたことは、調理器具を記録すること。庖丁には、その土地独自の料理を調えるため、独自の形状のものがあるようです。ようやく整理できましたので披露します。
なお、庖丁はすべて両刃。日本の蕎麦庖丁のように片刃のものはありませんでした。



1. 昆明(中国 雲南省)…1995年撮影

ダッタン蕎麦取材時に庖丁を販売している露店を見かけた。
中国南部は食材が多彩なせいか庖丁の種類も多い。
なかには日本の刺身庖丁に似た形のものもある。

庖丁の背が波打っているのは、筋があり硬い野生の動物の肉を背で叩いてから切るため。



2. 昭通(中国 雲南省) …2007年撮影

鍋で焼いて

薄い生地にしたダッタン蕎麦を

幅広麺状にカットしている。

3. 塩源(中国 四川省)…2000年撮影

塩源農家の台所で見かけたイ族が使用している包丁


蕎麦刈鎌、中華包丁、帯刀(野獣裁き・根菜堀)、後漢時代からの伝統包丁

4. 太原(中国 山西省)
山西省は中国内で小麦粉、雑穀類などの麺類を一番食べるといわれている地区。
Ⅰ.厨房店で見かけた庖丁
…2011年撮影


左上のものは両手包丁

 


柄の付いていない庖丁3点

Ⅱ.麺店での刀削麺…1995年撮影


刃がそり返り、柄の付いていない庖丁を使っている

5.西安近郊(中国 陝西省)…2012年撮影

うどんの截ち切り
中華庖丁を使い、麺棒をこま板にして截ち切る

6. 天津(中国)
Ⅰ. 大刀麺作成…2002年撮影

ホテルのフードコートにて。山東省地方(地元ではない)の大刀麺と呼ばれる手打ちうどん作成の様子。
玉は3kgぐらい。

3本の麺棒で大きな生地を作り、

大きな麺庖丁で切る。

Ⅱ.高級マンションの包丁セット…2011年撮影

手前中央にあるのは庖丁セットと鋏。
左は庖丁セットを立てておく差し込み台。
後方にあるのはまな板。

7. 庫倫旗(中国 内モンゴル自治区 通遼市)…1994年撮影
庫倫旗は、中国で蕎麦を一番食べている所。
蕎麦打ちは2通りの方法を見かけた。同じ町でも民族によって方法が違う点がおもしろい。
左・中 モンゴル族の技法。丸く延し、中華庖丁で切断。蕎麦粉100%
漢民族の技法。両手庖丁。山西省北部、陝西省北部でも同様

8. 烏審旗(中国 内モンゴル自治区 オルドス市)…1999年撮影
Ⅰ.『斉民要術』にある豚皮法に類似した湯煎で拵えるそば
沸騰した鍋の上にアルミのバットを浮かし溶いたそば粉を流し入れ、
湯煎して薄い生地(涼皮)を作り、
数枚重ねて庖丁で麺線状に切る。庖丁の取っ手は片方。一方の手で庖丁の刃を掴む。

Ⅱ.モンゴル族による羊の屠殺から料理まで。
 肉食にはナイフが必要であることがよく分かった。
左手で2本の前脚を掴み、蒙古刀で捌く。後脚を伸ばすのは大変、それでも鳴かない。
お腹の表の皮を20cm程切り、そこから手を入れ背中に回し、手で動脈を切る、2~3秒で静かになり、血液が横隔膜に集まる。
内臓を洗いその中にそば粉、羊の血液、香辛料を入れ蒸す。彼らの最高料理。蒙古刀で食べる

9.香港(中国)…2013年撮影 尹達剛氏提供
Ⅰ.尹達剛氏(飯店経営・中国飲食文化大使)が使用している庖丁

Ⅱ.肉屋の庖丁 肉により庖丁の形が違うことに注目

豚肉屋の基本的な庖丁:中刀と小刀

市場牛肉屋の牛肉切小刀

Ⅲ.道具屋での様々な展示

食材に合わせた握り部分の色分け提案の表示

天津より大きい大型麺切り庖丁


日本料理道具一式もあり

10.ベトナム
Ⅰ.ホイアン(ベトナム クアンナム省)…1999年撮影
  
米の麺「カウロウ」を営業用に作っている。両手庖丁ではないが、両手庖丁のように使っている。


(後日談)帰国後、ベトナム人に現地の皮むき道具とナイフを進呈したら10円呉れた。「無料で貰うと、縁を切ることになる」からとのこと。





Ⅱ.ホーチミン…2011年撮影

上級家庭で家事に使用している庖丁

11. ソウル(韓国)…1998年撮影
  
ソウルのデパートでの実演状況。日本の洋庖丁と類似した庖丁を使用。
「韓国式手打ちうどん」と日本語で表示。日本人観光者向けなのだろうか。小麦粉の袋には韓国語の表示が。


ソウルの路面包丁屋。
韓国語で庖丁切麺は「カルグクス」=カル(庖丁)+グクス(麺)という。
最近は機械麺が多くなったので「ソン(手)カルグクス」と言っている。

冷麺を鋏で切っているところ。






12. オーレイ近郊(フランス ブルターニュ地方)…2002年撮影

エルデペンさん宅(家族3人)のキッチンにて。
日本より小柄の庖丁を使っている。

ガレットを焼く台は2台あった。

13. イルクーツク(ロシア)…1999年撮影
・コルホーズ農場食堂にて

爼板の上にナイフのような庖丁


壁に掛けてあった庖丁
(二重に見えるのはフラッシュのせい)

14. テグリオ(イタリア)…2004年撮影
・北イタリア、テグリオでの蕎麦打ちの模様。

ローラー式の麺棒で延ばしている様子


蕎麦を切る庖丁はロシアやフランスのものよりも大きく、日本のそば庖丁と同じくらい

以 上

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〔解 説〕
稲澤先生の見聞力に舌を巻く
ほしひかる (江戸ソバリエ認定委員長)

 平成21年に韓国のテレビ局が『ヌードルロード』という番組を制作するに当たり、日本に撮影にやって来たことがある。そのとき取材のお手伝いをしたが、プロデューサー氏から質問を受けた。「なぜ、日本では麺を切って作るのか?」

 確かに、世界をぐるっと見回すと、本場の中国だけは様々な方法で麺を作っているが、麺文化圏であるアジアのほとんどの国が心太のように押出して麺を作っている。

 そこで私は、「日本は斬れる日本刀を創り上げたが、そのことと日本の庖丁文化の発展は無縁ではない」と、韓国のプロデューサー氏に語ったことがある。

 若いころから日本刀に関心を寄せていた私は、「初代肥前宗吉」の手入れをしながら、「日本刀の特質から、日本人は〝切る〟ことを大切にするようになった」と感じていた。そのことが料理において実を結んだのが、1489年に多治見備後守貞賢が上梓した『四條流庖丁書』であろう。

 そんな考えをもって、私は「小説 四條流庖丁書」を平成23年の『日本そば新聞』に掲載した。

 しかしながら、稲澤敏行先生の「蕎麦の縁で出会った世界の庖丁たち」の写真(撮影:1994~2013)を拝見して、自分が井の中の蛙であることを知った。

 そこには民族によって風土に根ざした、様々な形、使い方の違う庖丁が並んでいた。なかでも「肉食にはナイフが必要であることがよく分かった。」「棟が波打った形になのは、野生の動物の肉は筋があって硬いので庖丁の棟で叩いて切るため。」というコメントは、われわれ魚民族にとっては衝撃的である。

 先述した「小説 四條流庖丁書」においては「庖丁書」成立の背景を述べることで精一杯であったが、本当に訴えたかった「日本の庖丁は和食の源」であることを追及するには稲澤先生のような世界的視野をもたなければならないことを思い知った。

 何せ稲澤先生は、これまで中国訪問は ― 雲南省5回、四川省5回、陝西省4回 山西省9回、甘粛省1回、内モンゴル省4回、遼寧省3回、さらには北京・天津・上海・蘇州・広州・香港に及び、他に訪れた国はネパール、タイ、ベトナム、フイリッピン、韓国、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ロシア、チェコスロバキア、オーストリア、スロベニア、イタリア、フランスの14ヶ国にものぼるとおっしゃる。

 しかも常に「蕎麦」という視点で「見る」、「聞く」を実行された方である。

 よく世界の庖丁の特質を語るとき「中国は叩き切る」「日本は引いて切る」「西洋は押して切る」というが、先生はそれを十二分に見聞されている。

 ご覧の写真集は実は氷山の一角であり、その水面下に隠れたモノを先生はおもちである。それが稲澤先生の価値であろう。

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